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織田氏家臣録

最終更新日:2013年07月01日

 

織田氏家臣録(おだしかしんろく)甘楽町指定重要文化財

 昭和44年(1969)7月25日に町指定重要文化財に指定されました。
 この家臣録は、正しくいえば、奉加帳です。
 宝暦3年(1753)1月、稲荷山別当(べっとう:社寺などの事務長官)の東学院
(真言宗)祐廣上人(ゆうこうしょうにん)は、笹森稲荷神社に神輿(みこし)を造る
ため、織田領内の氏子をはじめ、近隣の他領町村の家ごとに寄付を集めました。
 これに応じて小幡藩主織田信右(のぶすけ:6代藩主)家臣一同が、白銀(しろがね)
(銀を10センチほどの楕円形に作ったもの)一包ずつを寄付しました。その時書いた名簿がこの家臣録です。

 

家臣録の表紙

 織田氏家臣録の表紙です。何も書かれていません。

 

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勧化文(かんげぶん)

 表紙をめくりますと、寄付集めのための趣意書の勧化文が書かれています。
平信長や信良(2代藩主)の名前等が見られます。
 笹森稲荷神社の縁起(えんぎ)を主文にしています。

 

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 勧化文の終り 

 左側に寶暦三年正月と東學院祐廣及び押印が見られます。

 

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家臣録の最初

 家臣録の最初です。織田兵部大輔(6代藩主信右)家中と書かれています。
信右(のぶすけ)は兵部大輔(ひょうぶたいふ)という官職名がありました。

 

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家臣録

 津田氏は在所家老(かろう)等、重職についていた上級武士でした。

 

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家臣録  

 右から二番目の津田頼母(たのも)は、在所家老(江戸ではなく小幡にいました)
となっています。これから14年後に「明和事件」が起こり、頼母は処罰され、織田氏
も山形に移動させられました。

 

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家臣録の最後

 左側に小幡総足軽 61人と書かれており、足軽は名を記していません。
 家臣録によりますと、この時の織田氏の家臣総勢220名で、士分144名、医師と茶坊主など11名、隠居2名、無格2名、足軽61名でした。

 

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白銀(しろがね)

 白銀は丁銀(ちょうぎん)と呼ばれています。江戸時代の貨幣には、品位量目を一定に
し貨面に価額を表示した定位貨幣と、銀の品位を一定に定め、取引の都度、重量をはかって使用した秤量貨幣とがありました。その秤量貨幣がこの丁銀です。
 写真の丁銀は、家臣録が書かれた時代より40年程古い時代の「宝永四ツ宝12面大黒丁銀」と呼ばれるものです。長さ8.5センチ、最大幅3.3センチ、厚さ5ミリ、重量130.5グラムです。大小四つの丸の中に[宝]が打刻され(宝永の宝)、周囲に大黒様が打刻されています。

 

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白銀(丁銀)の裏面

 近日中に甘楽町歴史民俗資料館に展示予定です。

 

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