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国峯城址

最終更新日:2013年11月15日

指定:昭和47年9月6日   町指定史跡
所在地:甘楽町大字国峰1025-2他
見学:常時可

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 国峯城は、当地の豪族小幡氏によって築かれた大城郭である。山城・丘城・平城の各部から構成され、東西2km、南北2.5kmの広範囲に展開しており、高低差は244mを測る。
 山城部は標高434mの山頂を本郭とし、尾根上を掘り切って数個の郭(曲輪、城内の一区画)を構え、竪堀が放射状に斜面を下っている。
 丘城部は御殿平と呼ばれ、4段の区画から構成されている。
 平城部は、竹の内(館の内)という。城主が平常時の生活を送る場所や、家臣の屋敷などがあり、また、ここより東北側の善慶寺地内には、東西方向に長さ350m以上、幅約8mの外堀が存在していた。
 小幡氏は、武蔵七党系図によると児玉党の一派で、13世紀初頭には当小幡の地に居住したと推考されている在地豪族である。
 小幡氏は永禄年間(1558~1570)に入ると、西上州一帯に勢力を伸ばし、関東管領山の内上杉氏の重臣として活躍した。のち武田信玄の幕下に加わり、武田二十四将にも数えられ、「小幡赤備軍団」を組織した。武田氏滅亡後は、織田信長嫡男信忠に従い、その後、小田原北条氏の勢力下に入ったが、天正18年(1590)北条氏没落と時を同じくして、小幡氏は甘楽の地を去っている。

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住所:〒370-2292 群馬県甘楽郡甘楽町大字小幡161-1
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