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織田氏七代の墓

最終更新日:2020年10月30日

指 定:昭和38年6月20日   町指定史跡
所在地:甘楽町大字小幡1416  崇福寺(臨済宗)
見 学:常時可 

織田氏七代の墓(御霊屋完成後)

 崇福寺に、小幡藩主織田信雄から信富に至る7代の墓がある。
 元和元年(1615)信雄(織田信長の二男)は、大和松山(奈良県宇陀市)と上野(群馬県)小幡合わせて五万石の領主となり、子の信良が入封して小幡織田氏の藩政が始まった。
 3代信昌は、祖父信雄の遺命(死に際してのこした命令)により、松山三万石を後見役であった叔父の織田高長に譲り、小幡二万石のみとなった。
 その後、明和4年(1767)の事件で、出羽高畠(山形県高畠町)に移封されるまで、8代152年にわたり小幡藩を統治した。
 織田氏の墓石はいずれも五輪塔で、初代信雄から、信良-信昌-信久-信就-信右-信富の歴代順に並んでいて、大名家の墓所らしい風格を見せている。
 織田氏は初め、轟の宝積寺を菩提寺(先祖の墓や位牌をまつる寺)としていたが、4代信久の時、崇福寺に移している。崇福寺は宝暦8年(1758)と明治4年(1871)の火災により、5代以下の墓石は火炎を受け破損している。

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