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小幡氏紋付赤備具足

最終更新日:2013年11月14日

指定:平成元年8月24日   町指定重要文化財
所在地:甘楽町大字小幡852-1   甘楽町歴史民俗資料館
見学:開館時に限る

49 小幡氏紋付赤備具足        49 小幡氏紋付赤備具足 七五三笹軍配紋   七五三笹軍配紋

 国峯城主小幡信真(上総介信貞、天文9年~天正20年、1540~1592)は、武田軍団(武田信玄・勝頼父子)の先陣として武勇を馳せた。
 天正6年(1578)勝頼より「赤備(アカゾナエ)」着用を許され、上州の赤武者として有名な赤備500騎(『甲陽軍艦』によると、当時は1騎につき4人の徒士がついたので、500騎は2500人の大軍となる)を率いて奮戦したので、敵方に恐れられたという。したがって、赤備の具足は小幡氏のシンボルになっている。
 この「小幡赤備」等の赤備が、後の「井伊赤備」の根本となっている。これは徳川家康家臣の井伊直政が、小幡氏等の武田氏遺臣を家康から預けられ、井伊の赤備軍団を結成している。『日本史広辞典』に「赤備のはじめは武田氏配下の甲州兵で、特に西上州の小幡一党の所用に始まる」とある。
 この具足(鉄朱塗桶側二枚胴具足・鉄朱塗頭形兜)には、小幡宗家の定紋(七五三笹軍配紋)が着いていて、出所も甘楽町内と伝えられている。特に胴の背面は丸みをおびて、乗馬専用に造られた珍しいスタイルである。
 小幡氏は、天正18年(1590)国峯城の落城後、信州(長野県)へ去ったので、当地に残された赤備具足は希少である。これはその代表的遺品といってよい。

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