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明和風土記(寛政本・文化本)

最終更新日:2018年08月22日

指定:平成30年1月31日   町指定重要文化財
所在地:甘楽町大字小幡852番地1 甘楽町歴史民俗資料館
見学:開館時に限る
 
  meiwahuudokikannseibon.JPG(寛政本)
  
  meiwahuudokibunkabon.JPG(文化本)

 『 明和風土記 』の原本作者、年代ともに不明である。
 昭和38年(1963)4月1日、幕末の嘉永4年(1851)に筆写された上下二冊本の『明和風土記』が、町指定重要文化財に指定されており嘉永本と呼称している。
 寛政本は嘉永4年より53年前の筆写の二冊本で、表紙は『明和風土記 一 二 三 四 五』、『明和風土記 六 七 八 九 十』である。 寛政10年12月に本書を所有した事が記されており、これ以前に本書は筆写されたことが分かるが、いつ筆写されたかは不明である。
 文化本は文化5年の年号があり、嘉永4年より43年前の筆写の一冊本で、表紙には何も書かれていない。文化5年9月に本書を購入した事が記されており、これ以前に本書は筆写されたことが分かるが、いつ筆写されたかは不明である。
 寛政本・文化本はほとんど同じ内容で、小幡藩織田氏が移封するきっかけとなった「明和事件」を扱っている。この事件は、明和4年(1767)山県大弐らによる幕府転覆の計画に、小幡藩家老の吉田玄蕃等が参画したと疑われ、幕府により大弐らは捕らえられ処刑。玄蕃は職と禄を召し上げられ蟄居の上、切腹を命じられた。小幡藩主織田信邦は隠居の上、蟄居。養子信浮(のぶちか)が出羽高畠に移封された事件である。しかし本書は、ほとんど史実によらず、幕府への反逆陰謀の衝撃的な点を強調した勧善懲悪な物語で、嘉永本も同様な内容である。
 筆写本であるが全国的にみても希少で、寛政本は上下二冊、文化本は一冊で完結し、しかも欠損個所が見られない事は貴重である。

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