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清助・清蔵の墓石

最終更新日:2018年08月22日

指定:平成30年1月31日   町指定重要文化財
所在地:甘楽町大字白倉1459番地 圓明院
見学:常時可
  
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 この墓石は、天明元年(1781)に勃発した糸絹運上金阻止活動の指導者であった清助、清蔵兄弟の墓石である。
 養蚕・機織りが盛んであった上州・武州は、江戸中期以降一大生産地として発展し、諸国の生糸商人・織物問屋などで賑わっていた。天明元年6月、幕府は上州・武州二か国47か所の糸絹市場に生糸・絹織物・真綿などの売買に対して高額な運上金を課す旨を公布した。この運上金は、結局は生産者が負担するのと同時に消費者にもかかってくる事になり、利益を得るのは仲買人と幕府であった。このため市場から商人の姿が消え、取引も全く行われなくなった。この悪政に生産者である農民が立ち上がって運上金阻止活動が開始された。この活動の指導者が甘楽町白倉の伊三郎で、同所の清助、清蔵も指導者の一員として大衆を動員させ、西上州一帯にかけて阻止活動を展開して行った。しかし、幕府は9月に入ると指導者の捕縛を開始した。清助は八丈島に遠島、清蔵は追放(牢内で病死)の処断を受けた。
 墓石の石材は砂岩で、高さ63.5cm、正面幅27.3cm、側面24cm。正面に二人の戒名、右側面に二人の俗名、左側面に嘉永元申七月七日、裏面はノミ状工具による調整痕のため何も刻まれていない。正面向かって右側に「嶌流道覺信士」(清助)、左側に「流岳寛良信士」(清蔵)の戒名が刻まれている。
 清助・清蔵の墓石は、天明糸絹運上金阻止活動より67年後の嘉永元年(1848)に建立されている。縁故者達が二人の遺徳を偲んで建立したものと考えられている。時間が経っても二人の業績を讃え、その大恩を忘れずにいたためであろう。
 歴史的にも地方史的にも重要な位置付けがなされる貴重な石造遺産といえる。

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