甘楽町歴史民俗資料館  
   ダイヤル黒電話

「電話」の歴史(国内)
1890年 M23 東京横浜間で電話が出来るようになる
 5分間の通話で、現代に換算すると約2250円かかった。

受話器を取ると交換手に繋がり、交換手が相手の番号にコードをつなぐ仕組みになっていた。

1926年(T15)  東京市では 関東大震災の復興に合わせ、交換手の必要ない自動電話交換機が採用された。しかし、自動交換機が東京市外に繋がるのは戦後になってからだった。

1933年(S8) 受話口と送話口が一体となった電話機が登場する

 交換手呼び出し電話
受話器を取ると交換手に繋がる仕組みは、昭和30年代まで行われていた。
交換手を経由した通話は、ア、受話器を取ってレバーを回し交換手を呼び出す。イ、交換手に「○○局の○△○□番に繋いでほしい」と伝える。ウ、交換手は○○局に繋ぎ、○○局の交換手に相手の番号を伝え呼び出してもらう。エ、相手が呼び出しに応じれば通話ができる。という手順が必要だった。

<戦後>
1964年(S39) 甘楽町有線放送電話開始 〜1978年(S54)

<余談>
有線放送電話(以下有線)が始まるまで、電話がある家は地域の中で限られていた。そしてその家が緊急連絡先となった。緊急連絡があった場合、電話を持っている家の人が「電話だよ!」と走って伝えに来てくれた。大らかな時代である。
写真で分かるように、有線にはダイヤルが付いていない。受話器を上げると交換手が出て、相手の回線に繋げてもらう仕組みだった。そんな仕組みのためか「話の内容はみんな聞かれている」という都市伝説が生まれた。中学生になった私が、友達の家に電話するのをためらう大きな理由となった。親が子供に規制をかけるため「聞かれている」と言ったのが都市伝説の始まりかもしれない。

1965年(S40)  東京と全国道府県所在地間のダイヤル通話開始


1969年(S44) プッシュホンの生産が始まる
1973年(S48) 電話ファックスが始まる
1979年(S54) 全国どこでもダイヤル通話が可能になる。自動車電話が登場。
1982年(S57) テレホンカードが利用できるカード式公衆電話登場。「テレカ」には、観光地や企業広告、アイドルの写真等が印刷され、空前のブームを起こす。


1987年
(S62) コードレス電話携帯電話の発売開始。

1995年(H7) PHSが始まる。
1999年 (H11) iモード(インターネット)の出来る携帯やカラー液晶を備えた携帯が発売となる。
2000年代 (H12〜) 着メロ、着うた、ワンセグ、カメラ付き等々携帯電話の多機能化が進みガラパゴス化と言われる。
  
左から、折りたたみ式携帯、スライド式携帯、まるでカメラにしか見えないスライド式携帯

<余談>
購買意欲をくすぐる多機能化戦略に見事にはまった私は、新たな機能が追加される度に機種変更を行った。名前もカメラと同様な「LUMIX Phone」はお気に入りの1台だった。しかし、もはやインターネットに特化したPC端末とも言える「スマートフォン」の便利さにはあらがうことが出来なかった。

2010年代以降 (H22〜) スマートフォンの時代に入る


<余談>
「スマホ」は非常に便利で生活に欠かせない物となった。しかし、便利な「スマホ」には中毒性がある。世界中がスマホ依存症になっていると言っても過言ではないだろう。何故「依存」してしまうのか?原因の一つに「インターネットの情報」が利用者がよくみるものを中心に表示されるよう設計されているからだと考える。スマホは使えば使うほど、利用者の趣味嗜好や思考・思想にマッチした情報を提示するようになるのだ。利用者は自分の考えに自信を持ち、自己肯定感が増してくるのである。「スマホ」は決して嫌なことを言わず自分の思いを反映してくれる。結果的に、「スマホの情報は自分を裏切らない」と確信するのである。こうして一時も「スマホ」を手放すことが出来なくなる。もはや依存症である。
かく言う私も「スマホ」が手放せない一人だ。しかし、「スマホ」はあくまでも便利な道具。道具は使いこなしてこそ真価が発揮される。脳をスマホに乗っ取られないように気を引き締めたい。

編者:甘楽町歴史民俗資料館 神道  

レンガ倉庫100周年記念企画展紹介ページへ →