「カメラ」の歴史(国内)
1848年(嘉永1) 長崎にオランダ船が持ち込み、それを薩摩藩主島津斉彬が入手し、研究を進め日本人で初めて写真を撮影した、その時に使われたカメラはダゲレオタイプ(銀板写真)と言われるピンホールカメラだった


ダゲレオタイプカメラのイネージ
1860年(万延1)横浜居留地でアメリカ人が写真館を開く ジョン万次郎がアメリカから写真機材を持ち帰り写真を撮影する
1862年(文久1) 江戸に「影真堂」という写真館が営業を始める 「写真を撮られると魂が抜ける」という迷信が広く定着していて、写真館の客はほとんど外国人だった
明治時代 文明開化の勢いに乗りカメラ技術が急速に広まる
1872年(M5) 明治政府は文部省博覧会の出品物の調査のために、文化財調査の一貫として、全国の名所旧跡・土器等の遺物の写真撮影事業が実施される(壬申検査)
1880年代(明治半ば〜) 新聞や雑誌が写真を利用する 東京や大阪を中心に写真館が急増する
1903年(M36) 日本初の市販カメラ「チェリー手提用暗箱」が小西六(コニカミノルタホールディングス)より発売される
1933年(S8) 小西六が国産初のスプリングカメラ(蛇腹式カメラ)を発売する

写真
:1937年(S12)発売開始のセミ ミノルタ2
セミミノルタ2は、スプリングカメラの普及機といえる。
<余談>
このカメラは恐らく父が北支戦線に派兵された時に購入した物と思われる。レンズとファインダーを収納すると外套(がいとう)のポケットに入る大きさなので、野外での撮影に威力を発揮したはずだ。父が大事にしていたカメラだったが、私は子供の頃、蓋を開けるとレンズが出てくる仕組みが面白くて父の目を盗んでいじっていた。
<戦後>
日本のカメラメーカーは太平洋戦争で大きな打撃を受け、本格的な生産に至るまで数年を要する。
それまではローライフレックス等のドイツ製カメラが勢いをつける。
1953年(S28) コンタフレックス(西独ツァイスイコン社)
発売
世界初のレンズシャッター式35mm一眼レフカメラ。国内のカメラメーカーが2眼レフカメラを量産していた頃、現代でも十分に通用するデザインと質感を成し遂げたコンタフレックスの登場は驚異的であった。

写真:コンタフレックス

<余談>
コンタフレックスは、インドに派遣されていた叔母が購入した物だ。この頃のカメラには露出計が内蔵されていなかった。従って被写体の明るさは、露出計で測光する必要があった。写真の少年(5歳の私)が首に掛けているのが露出計だ。
1954年(S29)以降 安価なレンジファインダー二眼レフカメラが登場し、大ブームが起きる

写真
:1954年(S28
) リコーフレックス モデル7
本体価格6000円位で発売されたリコーフレックスシリーズは、累計190万台に及ぶ 他メーカーも追従し市場に100種類以上もの2眼レフカメラが出回ることとなる。
2眼レフカメラは上部のレンズでファインダーの像にピントを合わせ、連動している下部のレンズで撮影する。と言う仕組みだった。
1957年(S32) 35mmフィルム採用のニコンSPが発売
これ以後、扱いが容易で沢山の写真が撮れる35mmフィルムが主流となる。

1957年(S32) 子供用カメラフジペット 発売
カメラブームに乗り、子供用のカメラが発売された。当時の価格は1950円、フジは自社の35mmフィルムの販売促進も兼ね、ベビーブームと言われる世代の親に財布の紐を緩めさせた。

写真:フジペット

<余談>
上の写真は、
1964年(S39)の春、赤城大沼畔だ。兄用に購入したフジペットだったが、旅行などでは使用を許された。ちょっぴり大人に近づいたような気がした。フジペットはレンズが暗く、2段階のシャター操作が子供には難しくまともな写真は撮れなかった。
1961年(S36) キャノネット発売
シャター速度優先のAE(自動露出)機能を搭載するなど当時の家庭用のカメラとして最高の性能を誇る。キャノンの社員が自分たちの給料で買えるカメラを売りたいと願い、18800円で売り出された。結果、2年間で100万台販売となる大ヒット作となる。35mmカメラのエポックメイキングと言って良いだろう。一方、他社からは「ダンピングだ」との批判が起こる。実際、キャノンの低価格・高性能戦略に付いていけなかった多くのメーカーがカメラ製造から撤退するに至った。

写真:キャノネット
<余談>
我が家のアルバムは、キャノネット購入以後スナップ写真だけでなく風景写真が混じるようになる。失敗しない写真がとれるキャノネットと35mmフィルムの扱いやすさが相乗効果を生んだ結果が、地方の家庭にまで及んだといえるだろう。
1962年(S38) オリムパスペン EE−S 発売
世界初のプログラムシャッター搭載のハーフサイズカメラ。ハーフサイズカメラと言えば、オリムパスペンと言われるくらいの普及率を誇る。
ハーフサイズとは、35mmフィルム1枚を二分割し、1枚分で2枚撮影できるようにした仕組みである。これにより24枚フィルムは48枚、36枚フィルムは72枚撮影することが出来た。コストパフーマンスがよく、プログラムEEの恩恵で失敗の少ない写真が撮れた。

写真:オリムパスペン EE−S
1971年(S46) キャノン FT-b 発売
キャノンのフラッグシップモデル「F−1」の普及機として発売される。普及機とはいえ、機能はF-1に見劣りする事は無かった。またフィルム装填を補助するQLシステムが画期的だった。
この頃一眼レフカメラ市場は、キャノン、ニコン、オリムパス、ペンタックス、ミノルタが覇権を争い「五強時代」と呼ばれる。

写真:キャノンFT−b
<余談>
高校時代、私は英才教育よろしく写真研究会に所属しキャノンFT-bを愛機とする。五強時代になぜキャノンか?と問われればキャノネットが家にあったからとしか答えようが無い。一眼レフ初号機がキャノンだったため、その後「キャノン沼」を漂うこととなる。なぜなら、メーカーによってカメラ本体とレンズとを接合するマウントの形状が異なっていたからだ。
1976年(S51) キャノンAE-1 発売
世界で初めてマイクロコンピューターを内蔵した画期的な一眼レフカメラ。

写真:キャノンAE-1
1978年(S53) キャノンA-1 発売
AE-1で採用されたコンピューター制御を更に進化させた完全デジタル制御で「カメラロボット」の愛称を持つキャノンのフラッグシップカメラ。キャノンA-1はデジタルカメラ全盛期の今でも愛好家から人気が高い。

写真:キャノンA-1
1986年(S61) 富士フイルムよりレンズ付きフィルム「写ルンです」が発売
出先で急に写真を撮りたい人向けに開発される その手軽さが受けて大ヒットする。

写真:写ルンです
<余談>
令和8年、レンズ付きフィルムはまだ売られているのか?気になって某大手カメラ販売店にいってみた。すると、まだ販売していた。それも驚いたが、1番驚いたのがその価格だ。税込みで約3000円也。時代は変わった。更に、現像した写真をデジタル化してスマホに送るサービスが推奨されていた。いろいろと驚くことが多い。
1987年(S62) キャノンEOS650 発売
キャノンEOSシリーズの初号機、オートフォーカス・オートワインダー機能や世界初の被写界深度優先AEを備える。しかし4年後、ミノルタα7000が登場し、シェアが塗り変わりαショックと言われる。

写真:キャノンEOS650
<余談>
子供の動きにピント合わせが追いつかなくなってきたタイミングでEOSが発表になった。このカメラは画角を決めシャターを切るだけで、イメージに近い写真が撮れた。気に入っているカメラだったが、この後デジタル化がカメラ業界を大きく変えていくこととなる。
1995年(H7) ミノルタ Capios115 発売
この頃、フルオートのコンパクトカメラが大流行し、各社様々な製品を相次いで発表した。コンパクトカメラは誰でも写真を撮れることから、差別用語を用いて揶揄された。

写真:ミノルタCapios115
<余談>
旅行や出張の時、1眼レフカメラは大きすぎる。様々なコンパクトカメラを検討した結果このミノルタを選択した。沈胴式のレンズでポケットに入る、比較的明るいレンズで解像力も高い、ストロボのガイドナンバーが高い事が理由だった。そしてこのカメラは、地球を1周することとなる。
1993年(H5)フラッシュメモリーを採用し、電源が入っていなくとも画像データが保存できる実用的な日本最初のデジカメFUJIDS-200Fが発売開始
1995年(H7) 1度に96枚撮影できるカシオQV-10が発売され、デジカメの利便性が世の中に認知される
1999年(H11)頃〜 コンパクトデジカメ(コンデジ)の全盛期が始まる
フィルムの制約から解き放たれたカメラメーカーは、それぞれ独自性を追求し多種多様なカメラが発表されていく。特に熾烈だったのが、撮影画素数争いだった。他社より優位性を強調した製品が次々に生み出される。
2000年(H12) SONYサイバーショットDSC P-1発売
片手で握れるほどの小ささだが、光学3倍ズーム、334万画素と当時のコンデジとしてはハイスペックを誇った。またSONYは画像の記録メディアとして独自の「メモリースティック」を使っていた。これはノートパソコン「VAIO」にも採用されてた。パソコンと連携することを前提に開発された最初のデジカメと言っても良い。

写真:SONYサイバーショットDSC P-1
<余談>
当時、様々な場面でデジタル化が推奨され、私は画像や動画を取り入れたプレゼンテーションを作成したり、文章に画像や動画を関連付けた報告書をCDで作成したり等、教材開発や事務効率化を試みていた。そんなこともあり当時使用していたSONY「VAIO」とコンパチブルなサイバーショットをデジカメ初号機として購入した。私財を投入して業務改善に関わることは、今では考えられないかもしれないが。
2002年(H14) デジタルカメラの販売台数がフィルムカメラを追い越す
2007年(H19) キャノン EOS 40D 発売
最先端の技術を随所に投入したハイアマチュア用のデジタル一眼カメラ 特に連写機能に優れ、最速1秒に6.5枚撮影が出来た。ミラーレス一眼にはかなわないが、ミラーを跳ね上げながらのこの速度は驚異的ですらあった。

写真:キャノンEOS 40D
2011年(H23)〜2014年(H26) スマホカメラの性能が急速に進化
日常の記録はスマホで十分という認識が広がるり、カメラの出荷台数がピーク時の3分の1まで減少する。
2011年(H23) FUJIFILM X10 発売
カメラ業界はスマホに対抗するため、コンパクトデジカメの高級化路線に舵を取った。その代表作としてX10が挙げられる。ライカを思わせるクラシカルなデザインと材質にこだわった筐体(きょうたい)やダイヤル類からカメラメーカーの意地が伝わる。

写真:FUJIFILM X10
2016年(H28) Canon powershot G7Xmark2発売
高級コンデジに位置づけられるこの機種は、デジタル一眼レフEOSに使用されているのと同等な撮影素子を使用し、レンズもコンデジの中では最高の明るさを誇る。スマホでは出来ない被写界深度の調整による意図的な撮影を可能にする。

写真:Canon powershot G7−Xmark2
<余談>
デザインや作り込みにこだわりのあるFUJIFILMX10は、一眼レフカメラのサブ機として非常に気に入っていた。ただ一つ難点があるとすれば、撮影した画像をすぐに配信できないことだった。そして、その弱点を解消したカメラがG7Xだった。G7Xもアルミダイキャストのボディーにアルミ削り出しのダイヤルなど随所にこだわりがあり、Wi-Fiで画像をスマホに飛ばしたり、スマホでリモート撮影が出来たり等の最新機能を持つ。今ではG7Xとスマホで事が足りている。
2019年(R1) スマートフォンの普及率80%に到達
2021年(R2) スマートフォンの普及率90%を超える
スマートフォンのカメラ機能の充実ぶりは凄いの一言だ。近接用レンズと望遠用のレンズを併せ持つ物がもはや標準となっている。それ以上に凄いのが、補正機能だ。露出やピントだけで無く色彩の補正まで自動で行っている。一言で言うと、スマホはきれいに写真を撮ってくれる。そして、それが即座に発信できる、そこにスマホカメラの優位性がある。
一方、カメラ業界は、「スマホに出来ない撮影」に力を入れている。例えば、意図的な被写界深度・AFの追従性や連写機能による動く被写体の撮影・望遠性能・長時間撮影の安定性などだ。カメラは、プロやハイアマチュア向けに特化し高級化路線が更に進んでいくだろう。
カメラは「家電」から「専門機材」へと完全に転換している。
編者:甘楽町歴史民俗資料館 神道