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甘楽町新指定文化財
最終更新日:2013年03月07日
甘楽町新指定文化財
平成25年2月25日に甘楽町教育委員会が開催され、新たに7件の文化財が
甘楽町指定重要文化財に指定されました。
7件の重要文化財を速報で紹介いたします。
織田信雄(自筆)書状
織田信雄(のぶかつ)は小幡藩の藩祖です。この書状は小牧・長久手の戦い
(1584年.天正12)の最中に、家臣の吉村又吉郎から秀吉が大垣まで来ている様子
を知らせたため、用心するように、また何かあったら知らせるように指令した返書で
す。
信雄27歳の時の自筆書状で、戦国期の武将資料として高い価値が認められます。
スタール銃 一挺
小幡藩松平氏が購入した洋式銃で、スタール騎兵銃と呼ばれています。幕末期に
アメリカより数多く輸入されましたが、現存する騎兵銃は多くありません。
機関部の引き金を引く右側に製造されたアメリカのニューヨーク州ヨンカース等
の刻印が刻まれています。
この銃は、1868年(慶応4)から翌年まで行われた戊辰戦争に持参したことが、
松平氏の『藩日誌』に記録されています。
向陽寺の天井画
本堂出入口を上がると廊下となっており、この廊下の天井に描かれています。
天井は3つの枠に区切られており、それぞれに一頭の龍が描かれています。写真は
本堂右側(西側)の龍で、この区画は5.4×2.8mあります。
画者は藤原守應で、江戸狩野四家の一つの鍛冶橋狩野家の五代狩野探林守美の
門人です。龍は日光陽明門の龍を画き写したものです。江戸時代後期の画です。
富岡製糸場絵馬
富岡製糸場建設の取締役となった韮塚(にらづか)直次郎が、1875年(明治8)に
製糸場の完成・操業等を祝って、笹森稲荷神社に奉納した絵馬です。
富岡製糸場を東上空から俯瞰(ふかん) した構図で、完成直後の製糸場を描いて
います。操業当初の各建物群やその配置、巨大な煙突等、富岡製糸場全体の構成が
理解できます。
絵馬は色彩の残りも良く、大きさは横160cm、縦89.5cm、周囲に木額がつきます。
鑣轡(ひょうぐつわ)
「西大山遺跡」1号古墳の周堀より出土しています。1号古墳は5世紀後半やや
早めの時期です。
手綱(たづな)をつけるために、馬の口にふくませる鉄製金具で、一般的には
轡(くつわ)と言いますが、馬の頬(ほほ)の部分に固定するために木製の鑣
(ひょう)と呼ばれる木質が使われており、鑣轡と呼称される馬具の一つです。
大きな特徴は、馬の口にふくませる部分の銜(はみ) が、ねじられて作られて
いるのと、木製の鑣が使われていることで、これほどまでに良く残っているのは、
全国的に見ても非常に珍しいと言われています。
この鑣轡は、朝鮮半島南部の地域で製作されたものが、日本にもたらされ、全
国的にも類例が少なく、群馬県内では唯一であり、学術上においても非常に価値
が高い資料です。
大日堂の石仏
過去に洪水に見舞われたため、全体に破損が認められます。また破損・風化のた
め、仏像の種類を特定することは出来ません。厚肉に刻み出し、首が広く三道の痕
跡が見られ、肩張りが大きく、また下半身は堂の床下にありますが、膝張りが大き
な坐像と推測され、鎌倉時代につくられた重厚な石仏です。石材は当地方で産出さ
れる天引石(あまびきいし)と呼ばれる砂岩です。
写真で見えているのは顔と光背(こうはい)です。顔の長さは40cmあります。
下引田の庚申塔
60日ごとに回ってくる庚申(こうしん)の夜、人の体内にいる三尸の虫
(さんしのむし)が天にのぼり、その人の悪行を報告するため生命を縮め
られるという、中国の道教の教えがあります。これを防ぐため徹夜して言行
等を慎み、健康長寿を祈念する信仰が行なわれるようになりました。平安時
代に日本に伝わりました。
下引田(しもひきだ)にありますこの塔は、現在の高さ125cm、正面幅
36.5cm、正面に「三彭伏滅萬榮仙家」、右側面に「享保二十乙卯年(1735)」
等が刻まれています。
三尸の虫は「彭」を指します。江戸時代中期の人々の庚申信仰を如実に表
した塔であり、三尸を主銘とする庚申塔では、全国的に見ても古い時代の所
産と言えます。石材は当地方で産出される天引石(あまびきいし)と呼ばれ
る砂岩です。
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